大阪駅前第2ビル・徳兵衛大明神

大阪の中でも主要なビル群の一つとして有名な大阪駅前第2ビルに、徳兵衛大明神(以下、徳兵衛さん)がある。
徳兵衛さんの祠は以前大阪駅前第3ビルの前にあったのだが、第3ビルが建てられるとき、すでに出来上がっていた第2ビルへ引っ越したそうである。

インターネットで「大阪駅前ビル 狸さん」、「徳兵衛大明神」「徳兵衛大明神 狸さん?」のキーワードで検索すると、検索結果画面からは、「駅前第2ビルにはお狸さんをお祀りしている」「昔、徳兵衛という人が、荒廃していたお稲荷さんを復興」「駅前ビルには狐も狸もいる・・・」の、文章が見える。

「徳兵衛さんの事を調べています」と大阪駅前第2ビル管理組合を訪ねた。すると、徳兵衛大明神神奉賛会の事務局へ行くことを勧められる。
その奉賛会の役員さんにお声をかけていただいて、私は、平成27年10月8日(木)の秋の大祭にお詣りしてきた。
なぜ、私が徳兵衛さんのことを知りたくなったのかと言うと、あれは、23・4歳の頃、私が徳兵衛さんの記事を新聞で見た事に遡る。
「お稲荷さんのお使いは、普通きつねさんやけど、ここのお使いはたぬきさん。名前を徳兵衛さん・・・」と、こんな内容やったように思い出す。当時の私は、ここのお稲荷さんのお使いは、たぬきさん、って言葉にスイッチが入った。
小学4年生の頃「まめだ(豆狸)」って言葉を初めて聞いた。「まめだ」とは、特に西日本に伝えられているタヌキの妖怪、子ダヌキの意味もある。このころ、私の中では妖怪と言うよりも、ただ狸の置物やった。
狸の置物は、「他抜き」「他を抜く」と言う意味を持った「縁起物」であること。
また、笠・目・顔・お腹・通い帳・金袋・徳利・太い尻尾、それぞれに意味があり、これを「八相縁起」ということ。
今の狸の置物のもとの形は、ある月夜の晩、腹鼓に興じるその姿を焼き物に再現したものであること。
自分の心の中にずっとあった、民話・昔話・伝説・伝承の類を、好きという気持ちと、狸の置物にまつわる話を見聞きしたことが相まって、スイッチON!っと、なったと記憶する。

日本妖怪研究所に所属を許され、特派員を名乗らせてもらった今回、第一回目の記事に、前談スイッチON!の記憶を思い出して、徳兵衛さんを選ばせてもらった。
大祭のとき、前出の奉賛会の役員さんを介して、ずっとお参りをしておられるご婦人にお話を聞くと、「徳兵衛さんは、たぬきや云う話もあるし、人や云う話もあるし・・・」と、語っておられた。
徳兵衛大明神縁起には、「住昔、大阪曽根崎蜆川のほとりに長く荒れたる祠あり常夜燈の影ほの暗く参拝者の姿も杜絶がちなりしをいつのほどにか徳兵衛と云えるひとの移り住みて荒れたるを修し修行怠りなく合掌三昧に年ふるうち霊験しきりに起こり参詣者引きもきらず世人その徳を慕いて徳兵衛大明神と尊称堂宇日に盛んなりしも其後星移り物変ると共に湮滅に帰したるを近頃有志相困りて祠を再興し世の尊信を受けつつあり口碑に曰く徳兵衛もと河内の人性来信心厚く徳を磨き常に慈悲善根をしてその情蓄類にまで及びたり」と、ある。
つまり、この蜆川のほとりに荒れた祠があり、徳兵衛という人が移り住み、修行し、一生懸命合掌を繰り返すうちに、病が治ったり天候を操るという奇跡が起こり、復興と世の尊信を受け継がれた。ということ。
曽根崎蜆川は、今の北新地本通りと堂島上通りの間の建物群がその跡のようで、今では想像もつかないが、この様な歴史があったのだ。
ここに記されているように、徳兵衛さん、私が想うには”人”でした。
ご自身の修行の環境と、人々がお詣りしやすい環境を整えられた徳兵衛さん。
そのご本尊、ご祭神がお稲荷さんで、たぬきさんは、そのお稲荷さんに縁のある方やったのではないかな?
いま、鎮まられる徳兵衛大明神さん、徳兵衛さんとたぬきさん、対のもの、と私は考えています。

日本妖怪研究所 妖怪特派員 金澤一也

PAGE TOP